最高裁判所第三小法廷 平成元年(オ)1443号 判決 1993年12月17日
上告人
大坪眞子
右訴訟代理人弁護士
仲田隆明
被上告人
西宮市
右代表者水道事業管理者
小林了
右訴訟代理人弁護士
美浦康重
米田宏己
西信子
北薗太
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人仲田隆明の上告理由について
一論旨は、原判決が飲料水と斑状歯との因果関係を肯定するためには、(1) その飲料水中に過剰濃度のフッ(弗)素が含まれていること、(2) その飲料水を歯の石灰化期の期間中に継続的に飲用したこと、(3) 右飲料水中に含まれるフッ素以外には斑状歯の原因となるべきものが見当たらないこと、の三条件が充足されなければならないとした上、本件水道水と上告人の斑状歯との間の因果関係を肯定しながら、被上告人の損害賠償責任を否定したことを非難するので検討するのに、まず、原審の適法に確定した事実関係をみると、その概要は次のとおりである。
1 昭和二六年四月一日、兵庫県旧有馬郡塩瀬村が西宮市と合併した当時は、生瀬地区においては、かんがい用水路を利用する部落有の共同水道により太多田川から引水して生活用水としていたが、降雨時の水の濁りや伝染病発生の危険もあって日常生活に著しい支障を生じていた。そこで、合併後の西宮市において埋設管を設置するとともに、塩素滅菌装置を設けて、昭和三二年七月から本格的に給水を開始した。生瀬地区を含む北部地域は、市域の半ばを占めるにもかかわらず、人口比は三ないし五パーセントにすぎず、もともと旧村落が散見されるにすぎない状況であったが、合併後は、井戸水等からの転換や生活様式の変更のため、上水道の需要が増加し、さらに、昭和四〇年代の宅地開発に伴う給水人口の増加が顕著となり、特に生瀬地区においてそれが著しく、生瀬地区では、恒常的に水不足の状態が継続した。北部地域には二級河川の武庫川が存在するが、武庫川からの取水は事実上不可能で、昭和三〇年頃から北部四地区の各地に水源を求めた結果、船坂川の原水のフッ素濃度が低いのに着目して、現在の丸山ダムの建設を計画した。当初の計画によれば、工期は昭和四四年度から四八年度までの五か年とし、工事費二一億六〇〇〇万円の予定であったが、完工は昭和五二年八月、全湛水を開始して満水となったのは同五四年四月で、総工費は七一億一〇〇〇万円の巨額に上った。
2 丸山ダム完成までの生瀬地区のフッ素低減対策として、被上告人は、昭和四七年三月にドン尻ダムを建設し、併せてドン尻浄水場を設置し、翌四八年四月一日から生瀬浄水場へ送水し、フッ素濃度の低い水と混合希釈して生瀬地区へ給水してきた。
3 この間、被上告人は、不十分ながらも昭和四〇年以前から本件水道水の水質検査をし、フッ素濃度を低減する方法として硫酸バンドを用い、また活性アルミナによるフッ素除去法等も検討したが、いずれも芳しい成果を得なかったところ、昭和五二年初め頃からの研究の結果、硫酸バンドによる連続処理によれば水質が格段に安定することが判明したので、被上告人は、生瀬浄水場において一億四〇〇〇万余円をかけて設備を拡充し、翌五三年から硫酸バンド法による連続処理に踏み切り、安定した水質の給水を行い得るに至った。
4 昭和五四年一月、前記丸山ダムにおいて全湛水を開始し、同年四月には満水となり、これにより被上告人は、翌五五年一月以降、丸山浄水場からの給水に全面的に切り換え、生瀬地区に対する給水のための赤子谷川及びドン尻ダムからの取水を完全に停止し、これによりフッ素除去問題はすべて解決するに至った。
二以上、上告人の居住する生瀬地区を含む旧塩瀬村が西宮市に合併された当時から丸山ダムの完成による丸山浄水場より生瀬地区等への給水開始に至るまでの間の推移につき、原審の認定した事実関係を念頭に置いて、以下に、原判決が被上告人の責任につき判示したところを検討することとする。
原判決は、本件水道の設置又は管理に瑕疵があったこと、また、被上告人の側に過失があったことをいずれも否定しているが、その理由は次の四点に整理することができる。
1 厚生省令の定める0.8PPMというフッ素濃度それ自体はそれほど有害危険なものではないから、その基準値を超えていたというだけでは直ちに斑状歯の発生に結びつくわけではない。上告人の歯の石灰化期のうち昭和四〇年頃から同四六年頃までの間、本件水道水中には右の基準値である0.8PPMを相当超える濃度のフッ素が含まれていたことはあったものの、その程度が著しく高いものであったとまではいえない。
2 水は国民の日常生活にとって不可欠のもので、水道事業者は常時水を供給すべき責務を負う反面、水道水に含まれるフッ素を原因とする斑状歯は、特に重症の場合はともかく、審美性の障害にとどまるものである。
3 上告人の歯の石灰化期に相当する昭和四〇年代には、効果的なフッ素の低減技術ないしフッ素除去の方法は確立されず、西宮市において研究の結果、硫酸バンド法による連続処理により安定した水質の給水を行うことができるようになったのは、昭和五三年のことである。
4 昭和四〇年代の宅地開発に伴い、西宮市の北部地域とくに生瀬地区において給水人口が急増したため、被上告人の給水能力の限界を超える状況となった。そこで被上告人は、昭和三九年頃から水不足等に対応するための抜本的な北部水道事業計画を立て、同四八年四月からはフッ素濃度の低いドン尻ダムの原水との混合希釈を図り、更には多大の財政的負担の下に丸山ダムを完成させ、昭和五五年一月以降、遂にフッ素問題を全面的に解決するに至った。
これによると被上告人は、昭和二六年四月の合併後、生瀬地区を含む北部地域が西宮市域の半ばを占める反面、人口比において三ないし五パーセントにとどまるものでありながら、昭和四〇年代以降北部地域自体として給水人口の急増したことへの対応に苦慮しつつ、北部地域への給水と水道水中のフッ素の低減ないし除去のため相応の努力を積み重ねてきたものということができ、厚生省令による基準値を超えるフッ素を含有する限り給水が許されないとすれば、被上告人として北部地域における水道の敷設は事実上不可能であったことが窺われる。
三以上の検討を前提として、本件における被上告人の責任を考察すれば、設備の整った水道施設において基準値を上回るフッ素の含有を放置した場合と同列に論ずることはできず、上告人の歯の石灰化期のうち昭和四〇年頃から同四六年頃までの間、本件水道水中に基準値を相当程度超えるフッ素が含まれていたとしても、直ちに本件水道の設置又は管理に瑕疵があったとはいえず、また、被上告人ないしその担当職員に上告人主張の過失があったとみることはできない。したがって、その間、被上告人が、現実に発生した斑状歯による被害の救済につき、「西宮市斑状歯の認定及び治療補償に関する規程」(昭和五二年一月三一日西宮市水道局管理規程第二号)を制定した上、斑状歯患者からの要望により治療補償を実施する行政措置を講ずるなど、これを損失補償の領域に属する問題として対処してきたことは、相当であったということができ、被上告人につき損害賠償責任を否定した原判決の結論は、その趣旨においても相当として是認すべきである。
四また、論旨は、被上告人が「フッ素濃度を遵守していないという事実を斑状歯被害者となる住民に対しその広報もしていない。当然ながら、北部地域でフッ素濃度の少ない水源を確保するのは容易ではないとの広報活動も全くしていない。その広報活動がおこなわれていれば上告人家族は現在地に移転してはこなかった」旨主張するが、「兵庫県や西宮市においては古くから、遅くとも昭和二〇年代から、飲料水と斑状歯の問題について重大かつ深刻に受けとめられており、すでに昭和三四年には『たえず上水道源水のフッ素量を監視』する必要性が叫ばれていた」こと、また、「上告人が生まれ育った生瀬を含む西宮市北部地域は、隣接する宝塚市とともに、古くから六甲山系からでる河川の水に含まれる高濃度のフッ素による斑状歯被害の危険性が指摘されていたところで、生瀬地区と同様に六甲山系の川水を飲料水として常用する宝塚市では、斑状歯を表す『ハクサリ』という地名があるほどである」こと、さらに、昭和三四年三月二〇日被上告人発行の「西宮市史」第一巻では、生瀬地区の飲料水の水源となっている赤子谷川等の川水にフッ素イオンの含有量が多く、これらの川水を直接用いている地域あるいはこれらの川水が地下水と関係する地域では、フッ素の人体に及ぼす害として斑状歯が著しいこと等が指摘されていることは、すべて論旨自体に明らかなところであって、被上告人の広報活動の欠如をいう所論は、被上告人に対する非難としては当を得ないものというほかはない。
その他、所論は、原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨選択を非難するに帰し、すべて採用することができない。よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)
上告代理人仲田隆明の上告理由
はじめに
本上告書の構成について説明する。
第一では、被上告人の主張も指摘しながら、上告人の主張を展開する。
第二では、原判決の理由の要約および上告人のこれに対する若干の反論をする。
第三では、原判決に理由不備、理由齟齬のあることを指摘し、第四では、原判決に、水道法、水質基準に関する省令違反が存すること、事実認定において経験法則違反、論理法則違反および採証法則違反が存すること、かつ、審理不尽が存し、これらが判決に影響を及ぼすことが明らかであることを主張する。
なお、本事件は、水道水を飲用し、その中に含有されるフッ素によって斑状歯に罹患したことによる損害賠償請求をする我が国初めてのものである。また、本件は、一審では上告人の主張を認めて損害賠償請求を認容したが、原審は後述する誤った論理で一審判決を取り消したものである。
第一 上告人の主張
一 当事者
被上告人西宮市は、兵庫県に存し、水道法六条一項の認可を受けて給水をおこなっている水道事業者である。
上告人は、昭和四〇年九月七日に西宮市塩瀬町生瀬で出生し、それ以来現在に至るまで、被上告人が経営する水道事業の生瀬浄水場およびその系統の給水施設(以下本件水道という)から上水道水の供給を受けてきたものである。
二 上告人の斑状歯の発生
上告人は、本件水道の上水道水を飲用したため、斑状歯に罹患した。
斑状歯とは、歯の形成期において、過量のフッ素を含む飲料水を摂取することによって生ずる歯の石灰化不全の病変で、エナメル質の表面に不透明で光沢のない白墨様の点状、線状、帯状、縞状あるいは不定型の雲状の白濁が生じ、その程度が進むと表面に小窩ができ、さらに進むと階段状または蜂巣状の硬組織の実質欠損をともない、往々にして黄濁白あるいは暗褐色の着色を伴うに至るフッ素による全身的慢性中毒症状である。
人の歯の発生は、胎生約六週の頃から始まり、これが乳歯となる。一般に乳歯には斑状歯が少なく、これは母体が常にフッ素を摂取していても、胎盤がフッ素を通過せしめないため、胎内における乳歯歯牙発育には影響が少ないことが原因と言われるが、高濃度の場合は乳歯にも斑状歯が現れることが報告されている。
永久歯については、例えば、第一大臼歯は出生時(〇才)から三才位までの間に形成され、最もよく目立つ中切歯は出生三ヶ月ころから五才位までの間に、側切歯は出生四ヶ月ころから五才位までの間に形成され、犬歯は出生五ヶ月ころから七才位までの間に形成され、最も遅い第二大臼歯は二年六ヶ月ころから八才位までの間に形成されるので(<書証番号略>、歯牙形成期間)、従って、出生時から八才位までの間に高濃度のフッ素を摂取すると、その作用によって斑状歯が発生する。
上告人は、全歯に斑状歯が発生しており、その程度は厚生省分類(<書証番号略>)のM3であり(<書証番号略>)、M3とは「重度斑状歯(M3)‥M1、M2の変化にさらに歯の実質欠損を伴っているものである。歯に小円形の実質欠損が散在しているもの、これが連合拡大したもの、あるいは歯冠全体の形態異常をおこして岩様を呈しているものなど、その発現状態、程度の強弱、罹患歯の数等はさまざまである。これはM1、M2の変化に随伴して発現することが多い。実質欠損の大部分は点状あるいは円形の深浅不定の欠損および歯冠形態の変化として現われる。」(<書証番号略>)ものであるから、上告人は〇才から八才までの八年間にわたってフッ素含有の飲料水を飲用したことになる。
この点について、原判決は、一審判決が上告人は出生時の昭和四〇年から昭和四八年まで過量のフッ素含有の上水道水を飲用したと認定している部分を、被上告人の昭和四六年からフッ素対策を改めて講じ、フッ素の減量をしたと誤った主張およびこれに沿う誤った資料をことさらに信じて、上告人は出生時から昭和四六年まで過量のフッ素含有の上水道水を飲用したと訂正したが(原判決理由四、3)、これは明白な誤りである。このことは、<書証番号略>の西宮市斑状歯専門調査会の答申の一五頁の本件水道水についての昭和三四年から昭和四七年にかけての地域フッ素症指数(CFI)からの推算フッ素濃度2.7PPMからも証明されるところである。
三 フッ素
フッ素は過量に摂取すると、毒性を発揮する。
厚生省医務局歯科衛生課が、一九六六年(昭和四一年)に作成した「う蝕予防と弗素」(<書証番号略>)によって説明する。
フッ素の人体に与える悪影響は、急性中毒と慢性中毒に分類される(<書証番号略>)。急性中毒の最たるものは死に至るもので、人はフッ素を一度に五〜一〇グラム摂取すると、2.4時間で死亡する(<書証番号略>)。従って、フッ素の毒性は極めて強い。
慢性中毒は、骨硬化症と斑状歯に代表される。フッ素を長期間にわたって多量に摂取すると、骨組織がもろくなり、その周囲の靭帯や腱などに異常な石灰化がおこり、四肢、腰関節、背柱などに運動障害が発生する。斑状歯の発生とフッ素濃度については、飲料水中一PPMのフッ素濃度を境として軽度の斑状歯が発生しており(<書証番号略>)、被上告人西宮市のある近畿地方における重度斑状歯(厚生省分類によるM3程度)の発現頻度は、飲料水中1.56PPMである(<書証番号略>)。
国は、昭和三三年に水道法四条一項によって、上水道水の水質基準を法定し、同条二項によって「水質基準に関する省令」では、フッ素の許容量は0.8PPM以下としたが、同基準は明らかに斑状歯の発生を防止するために設定されたものであり、十分な根拠を有するものである。原判決および被上告人は、右フッ素濃度0.8PPMの基準は確たる根拠がないと主張するが、それは明白に誤りであり、根拠があるからこそ昭和三三年から現時点まで三〇年間以上にわたってこれが維持されてきたのである。
四 上告人が飲用した上水道水
上告人は、出生時の昭和四〇年九月七日から歯牙形成期間、すなわち、八才に達する昭和四八年九月ころまで本件水道の飲料水を飲用していた。
右期間、本件水道によって、上告人が居住する西宮市生瀬地区に供給されていた上水道水は、六甲山系東端にある赤子谷川の自然流水を取水し、これを生瀬浄水場で処理されたものであったが、これには多量のフッ素が含まれていた。
上告人が斑状歯に罹患した期間の昭和四〇年ころから同四八年までにおける右フッ素濃度を検討する。これについては、被上告人の主張や、その作成にかかる資料はいずれも全く信用できない。それは、被上告人は一審でも、原審でも月一回の水質検査時では給水栓におけるフッ素濃度は0.8PPMを超えたことはないと強弁しており、被上告人自ら依頼した西宮市斑状歯専門調査会に対しても、昭和三七年から同四八年までの給水栓でのフッ素濃度は0.72プラスマイナス0.23PPMと説明していたが(<書証番号略>)、原審段階で上告人が発見した被上告人作成の西宮市水道事業年報(<書証番号略>)によると、生瀬地区の配水池(給水栓)での昭和四〇年のフッ素濃度は1.1PPM、同四一年には1.8PPM、同四二年には1.9PPM、同四三年には1.3PPMであったことが判明したからである。0.8PPMを超えていないとの被上告人の主張は、真赤な嘘であったし、また、右西宮市水道事業年報のフッ素濃度の数字も低すぎて記載されていると考えられて信用できないし、<書証番号略>の赤子谷川の原水のフッ素濃度の記載も同様に信用できない。そこで、信用性のある客観的な生瀬地区の給水栓の濃度は、被上告人が調査を依頼した西宮市斑状歯専門調査会の答申の数字である(<書証番号略>)。
右調査会は、昭和五〇年四月に西宮市北部地域の山口、船坂、生瀬、名塩の各小学校、中学校の生徒一〇四〇人を検診し、そのうち四二〇名について集計した。その結果、斑状歯について正常なもの33.1%、M0(疑問型)5.0%、M1(軽微症)21.2%、M1'(軽症)は22.4%、M2(中等症)は16.9%、M3(重症)は1.4%であった(<書証番号略>)。M0を含めた斑状歯患者率は、実に66.9%の高率であり、M0を除いても61.9%である。
その地域の斑状歯の出現状態を示す指標を地域フッ素症指数(CFI)といい、CFIによって斑状歯発症の限界、つまり、飲料水中のフッ素量の限界を現す。CFI値は右調査結果から算出する。DEANによると、CFI値が0.4以下であれば、フッ素の影響に対する心配はないとされ、0.6を超える場合には飲料水中のフッ素が過剰であり、公衆衛生学的立場からフッ素濃度を減少させなければならない。
上告人の居住する生瀬地区のCFI値は1.73と0.6を大きく上まわっている(<書証番号略>)。このCFI値からフッ素濃度を推算することができるが、それによると昭和三四年から同四七年までの生瀬地区での給水栓でのフッ素濃度は2.7PPMである(<書証番号略>)。
次に、西宮市歯科医師会が昭和四一年から同四四年にかけて測定した生瀬地区の給水栓におけるフッ素濃度は1.9乃至3.0PPMである(<書証番号略>)。また、大阪大学環境工学課大学院グループが、昭和四六年に同じく測定したときの給水栓でのフッ素濃度は1.6PPM乃至2.0PPMであった(<書証番号略>)。これらの数値は、いずれも極めて似通っていて、当時のフッ素濃度を正確に示していると断定できる。右調査会は、これらの資料と被上告人水道局の原水中のフッ素濃度の資料をもとに、昭和三四年から同四六までの生瀬地区の給水栓でのフッ素濃度を、1.6PPM乃至2.1PPMと推定したが、この数値は被上告人資料を使用している点で低めになっていると考えざるをえない。しかし、この調査会の推定値でも給水栓濃度の最低値は1.6PPMと厚生省基準0.8PPMを大幅に上まわっており、また、この数値は近畿地方で重度斑状歯を頻発させる前記数値1.56PPMをも上回っている。
このように、上告人が全歯牙形成期に飲用した本件水道からの水道水は、厚生省基準0.8PPMを大きく侵害するものである。そのため、上告人は、昭和五三年一〇月二九日の西宮市斑状歯認定審査会の専門委員による検診の結果により、上顎前歯のうち中切歯二本は厚生省分類M3の、その他の歯はすべてM2の斑状歯に罹患した。
五 被上告人の責任
1 国家賠償法第二条第一項の責任
被上告人は、水道法に基づいて事業を経営する「水道事業者」であるが、「水道が国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないもの」(同法第二条)であるところから、水道事業者はその水道によって給水を受ける者の健康を害することのないような飲料水を供給すべき義務がある。そして、水道によって供給される水の水質基準は同法第四条第一項によって法定され、同条第二項による厚生省の「水質基準に関する省令」では、フッ素の許容量は0.8PPM以下とされているが、上告人が前記歯牙形成期の間、本件水道から供給を受けた上水道水のフッ素濃度が右の基準を大幅に超えていたために、前述のように上告人の歯に斑状歯が発生したものである。
本件水道は、国家賠償法第二条第一項にいう「公の営造物」であるが、その水道水の中に右のような過量のフッ素が含まれていたのであるから、本件水道には、右水質基準所定のフッ素許容量以下にフッ素含有量を減ずるためのフッ素除去装置を設置することが必要であった。しかるに、本件水道にはフッ素除去装置が設備されていなかったのであるから、公の営造物である前記浄水場および給水設備の設置または管理に瑕疵があったことになり、被上告人は国家賠償法第二条第一項による賠償責任がある。
2 民法七〇九条の責任
前述のように、被上告人は水道事業者として、上告人に対し、その健康を害することのない飲料水を供給すべき注意義務があるのにそれを怠り、漫然と過フッ素濃度の飲料水を供給した過失がある。すなわち、上告人が生まれ育った生瀬を含む西宮市北部地域は、隣接する宝塚市とともに、古くから六甲山系からでる河川の水に含まれる高濃度のフッ素による斑状歯被害の危険性が指摘されていたところで、生瀬地区と同様に六甲山系の川水を飲料水として常用する宝塚市では、斑状歯を表す「ハクサリ」という地名があるほどである。
昭和三四年三月二〇日に、被告が発行した「西宮市史」第一巻(<書証番号略>)においても、生瀬地区の飲料水の水源となっている赤子谷川等の川水にフッ素イオンの含有量が多く、昭和三三年一月七日に被上告人水道部水質検査室が赤子谷から採取した表流水のフッ素濃度は2.2PPMであったもので、これらの川水を直接用いている地域あるいはこれらの川水が地下水と関係する地域では、フッ素の人体に及ぼす害として斑状歯が著しく、生瀬地区の上水道にもフッ素の多い水(2.2PPM)が用いられていて、この地区の児童の四一%が斑状歯にかかっているなどと飲料水のフッ素濃度の高いこととそれによる斑状歯の被害の発生を指摘する記述がある。
従って、本件水道の取水源の川水が前述のような高濃度のフッ素を含有するものであり、これを上水道として給水すれば、それを飲用する住民に斑状歯の被害が発生する危険性のあることは、被上告人も認識していたか、少なくとも予見することができたことは明らかである。従って、本件水道の原水中に右のような高濃度のフッ素が含まれていれば、被上告人においてそのフッ素を除去し、斑状歯の危険のない安全な水にした上で、給水する措置をとるか、または他にフッ素濃度の低い安全な原水を確保する義務があるが、被上告人は、これに対して、本件水道からの水道水はフッ素が過量で斑状歯に罹患する恐れがあることの広報活動を全くしなかったことを含めて、何らの対策を立てずに放置し、高濃度のフッ素が含まれた状態の水道水を本件水道によって生瀬地区の住民に供給した。そして、被上告人の右過失により、上告人を斑状歯に罹患させたのであるから、被上告人は民法七〇九条による賠償責任がある。
3 民法第七一七条第一項の責任
本件水道は、土地の工作物であり、被上告人はその占有者で、かつ、所有者である。本件水道に斑状歯を発生させないためのフッ素除去装置が設備されていなかったことは、土地の工作物たる本件水道の設置、保存に瑕疵があったことになり、それによって上告人に斑状歯を生ぜしめたのであるから、被告は民法第七一七条第一項による賠償責任がある。
4 民法第七一五条第一項の責任
被上告人は本件水道事業を行うについて、その被用者である職員をしてこれを担当せしめていたのであるが、被上告人の右職員は本件水道によって給水される水道水が前述のように過量のフッ素を含んでいるのに、そのフッ素を除去することなく給水したため、これを飲用した上告人に斑状歯を発生せしめたものである。従って、右職員は、被上告人の事業を執行するにつき、その過失によって上告人に損害を加えたことになるから、使用者である被上告人は民法第七一五条第一項による賠償責任がある。
六 損害
1 治療費 金一八〇万円
上告人は中学校一年生(提訴時)の女性で、小学生当時から上顎前歯の二本がM3、その他がM2という重度の斑状歯で、しかもこれらは淡褐色となっているため、他人の面前で発言したり笑ったりすることに極めて消極的になり、この傾向は年齢を重ねると共にその程度が甚だしくなって、生活、学業その他全般にわたって影響がでている。
このため、上告人は、伊熊歯科医院で、上顎前歯六本の治療を受け、昭和五三年一一月二九日その治療を完了したが、その代金五四万円(一本につき金九万円)を同年一二月六日同歯科医院へ支払った。そして、その治療ずみの六本のほか、更に上下左右の各中切歯から第二小臼歯まで合計二〇本のうち、右治療ずみの六本を除くその余の一四本についても治療の必要があり、これらについても合計金一二六万円(一本につき金九万円)の治療費を要することになる。
従って、要治療歯の治療費としての上告人の損害額は、前記金五四万円と合して金一八〇万円となる。
2 慰謝料 金四〇〇万円
歯はその人の美醜を決する重要なポイントであり、女性である上告人として、斑状歯による醜状によって想像を越える苦痛を受けている。しかも、仮りに治療を受けたとしても、それによってもとどおりになるわけではなく、歯全体に大きな影響を及ぼし、将来ともその不安は極めて大きい。
従って、その精神的苦痛に対する慰謝料は少なくとも金四〇〇万円を下らない金額が相当である。
3 弁護士費用 金五〇万円
上告人は、被上告人の不誠意により本件訴訟を提起せざるをえなくなったが、事件の性質から考えて弁護士に依頼せざるをえず、その費用は弁護士会報酬規定を参考にして金五〇万円を下らないというべきである。
第二 原判決理由の要約
原判決が一審判決を覆した理由は次の各点であると考える。また、ここでも若干の原判決の批判をした。
1 「昭和四六年頃以前の本件水道のフッ素濃度を示す適格な信頼性の高い証拠は必ずしもあるとはいえず(高濃度であることを示す資料も所詮は推認ないし推測によるものが多い)、結局、当時いかほどのフッ素濃度であったかを数値的に確定することは難しいといわなければならない。
もっとも、……、昭和四〇年頃から同四六年頃までの間の本件水道水中には常時ではなく、また、時期や日時によるフッ素濃度の変動はあるものの厚生省基準を相当越える濃度のフッ素が含まれていたことがあったものと認めるのが相当である。」(理由三、2、傍点は上告人代理人)
原判決は過量フッ素について「相当越える濃度」と「その程度が著しく高いもの」と二つにわけ、本件水道からの水道水は「相当越える濃度」であって「その程度が著しく高いもの」には至っていないというが、その基準は全く述べられていない。原判決が昭和四六年までの飲用期間に限定した誤りは、すでに述べた。
2 「……我が国の現行水質基準である0.8PPMという基準値が定められた根拠は必ずしも明らかではない。」(理由二、2)
原判決の独善で、この点も誤りである。
3 「……いずれにせよ0.8PPMというフッ素濃度それ自体はそれほど有害危険なものではないのであるから、その基準値を越えていたというだけでは、そのことが直ちに斑状歯の発生に結びつくわけではない。」(理由二、2、傍点は上告人代理人)
「……右基準に違反した場合に直ちに不法行為上の過失があるとか、水道施設の設置又は管理に瑕疵があるとまで即断することは相当でない。」(理由四、傍点は上告代理人)
上告人は、本件において、本件水道の上水道水のフッ素濃度は0.8PPMを僅かに超え、それも僅かの期間と主張しているものではない。上告人の主張は、近畿地方におけるM3重症斑状歯を発生せしめる1.6PPM以上のフッ素含有水を歯牙発生期間の全期間にわたって、被上告人が供給したと主張しているのである。従って、原判決の「その基準値を越えていたというだけでは」とか「直ちに」との評価は誤りである。
原判決の用いる用語や事実認定は、極めて悪意的、意図的なものが多い。「その基準値を越えていたというだけでは……」と、何故にこのような事実認定ができるのであろうか。勉強不足かまたは意図的に事実をまげるものである。
4 「生瀬地区を含む西宮市の北部地区においては、昭和四〇年代(特に後半頃)、宅地開発に伴い人口が飛躍的に急増し、そのため、慢性的な水不足の状態が続き、この水不足をいかに解消すべきかということが、水道局の懸案事項であり、当時の水の需要は控訴人の給水能力の限界を越えるような状況であった。」(理由三、1、傍点は上告人代理人)
「生瀬を含む西宮市の北部地域はフッ素を含まない水源を確保することが地形的な事情等から容易でなかった……」(理由四)
これも誤りである。ドン尻浄水場および丸山浄水場の水源たるドン尻川、船坂川は、被上告人にフッ素及び斑状歯問題について熱意があれば容易に発見でき、昭和四〇年以前にこれらの場所にダムを設置できたものである。
原判決も記述するように、人口が増大したのは昭和四〇年後半である(原判決添付一覧表)。上告人は昭和四〇年から同四八年の給水期間を問題にしているのである。
5 「なお、控訴人が、フッ素濃度を瞬時に測定し得るイオン電極法を採用したのは昭和四七年以降であり、このときまでは継続な水質検査を実施することは事実上難しかった。」(理由三、3)
原判決は、水道法第二〇条一項、同法施行規則一四条、通達の定期水質検査と相まって、被上告人が当時おこなっていたというフッ素の月一回検査を正当化させる。しかし、何も瞬時に測定できなくても、将来型で毎日測定すればよいし、できたものである。
6 「……当時、日本においては、未だ効果的な除フッ素法は確立されておらず、右活性アルミナによるフッ素除去法も本格的に実用化されてはいなかった」(理由三、4、四、傍点は上告人代理人)
当然ながら、原判決は、被上告人の主張をそのとおり採用したのであるが、「日本においては」と限定しなければならないのが苦しいところであるし、フッ素除去装置のテストさえ一切しなかった被上告人が、主張するべき内容ではない。
7 「……水道は国民の日常生活に直結しその生命、身体、健康を保持するために欠くことのできないものであり、水道事業者は当該水道により給水を受けるものに対し常時水を供給しなければならない責務があること」(理由四)
水から「清浄」という言葉が失われている。被上告人には、健康に無害の安全な水を供給する法的義務がある。
8 「斑状歯は特に重症の場合はともかく機能的には特段の支障はなく審美性(美容上の不快感をあたえる)にすぎず生命を脅かすというものではないところ、前記基準を越えるフッ素を含む水の供給を停止することによって斑状歯が発生するおそれをなくす利益と、右フッ素を含む水の供給を継続することによって住民の生命等を保持することができる利益とを比較衡量すれば後者を優先すべきであること」(理由四)
上告人は原判決の右比較衡量論には唖然とする。
原判決の発想は、少数切捨、多数横暴のファッショである。これは、人権擁護の底の司法のとるべき考え方では断じてありえない。それは、加害者であり、権力を有する被上告人を擁護し、被害者切捨を意図的にねらった暴論であり、ここに原判決が正義を曲げていかにして原判決を覆したかの「苦心」をみてとることができる。
9 「控訴人は不十分ながらも昭和四〇年以前から……フッ素の除去低滅に努力し」(理由四、傍点は上告人代理人)
被上告人が水質検査をおざなりにおこない、また、フッ素除去、低滅を全くおこなわなかったことは、第一、四で記述した。このことは、当時のフッ素濃度の確定の結果から明らかである。それ故にこそ、西宮市斑状歯専門調査会が調査した結果、上告人の居住する生瀬地区に、小・中学生徒の六〇%を超える斑状歯患者が発生したのである。
このような重大な事態が発生しているにもかかわらず、「未だ、本件水道の設置管理に瑕疵があったとはいえず」との原判決の判断は、リクルート事件犯人を隠避するものと同等である。
毎月一回水質検査をしてフッ素濃度を測定していたというならば、被上告人は毎回M3の重症斑状歯を発生させる1.6PPM以上のフッ素濃度を検出したのであるから、そうすれば数多くの健康被害である重症斑状歯が発生することは直ちに理解できるにもかかわらず、この事実を生瀬地区の住民に秘し、フッ素濃度も安全圏まで下げる行為をしなかった点で重大な犯罪を犯している。
そのような者を庇う原判決は、到底容認できない。
第三 原判決の理由不備、理由齟齬
一 安全飲料水供給注意義務
一審判決の事実欄および理由第六、一に記載されているように、「水道は国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないものであるから、水道事業者はその給水を受ける者の健康を害することのないような飲料水を供給すべき義務があること」は当事者間に争いのないところである。
水道法一条も、「この法律は、水道の布設及び管理を適正かつ合理的ならしめるとともに、……、清浄にして豊富低廉な水の供給を図り、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善とに寄与することを目的とする。」と定め、安全な水の供給を定めている。そして、水道法四条は、本文で「水道により供給される水は、次の各号に掲げる要件を備えなければならない」と定め、その三号は「……弗素、……をその許容量をこえて含まないこと。」と定めて、同条二項を受けた前記厚生省令は、フッ素の許容量として0.8PPMと規定しているのである。
而して、水道法および右厚生省令がフッ素について規定しているのは、第一、三で述べたようにフッ素の人体に対する悪影響である斑状歯、骨硬化症等の被害の発生の防止にあることは明らかである。つまり、被上告人が認めようと認めまいと、法的には被上告人には上告人ら住民の健康を害することのない安全な水を供給する注意義務があることは明白である。そして、本件では、被上告人は右注意義務に違反して、長期にわたり、かつ、大量のフッ素(原判決がいう厚生省基準を相当程度越えるという、低い程度ではない)を混入させた上水道水を上告人ら住民に供給して、その六〇%以上に斑状歯患者を発生せしめて、身体、健康侵害をおこなったのである。
ところが、原判決は、「……水道は国民の日常生活に直結し、その生命、身体、健康を保持するために欠くことのできないものであり、水道事業者は当該水道により給水を受ける者に対し常時水を供給しなければならない責務があること(水道法一条、二条、一五条参照)」(理由四、傍点は上告人代理人)と記述して、ことさら「水」から安全性を排除し、右注意義務については一切触れていない。
ここにおいて、原判決には明らかに理由不備、理由齟齬が存する。
原判決が、被上告人は安全な水を供給しなければならないとの注意義務にあえて触れなかったのは、そこに入りこめば、被上告人を勝訴させることができなかったからである。
原判決に、極めて悪質な意図が潜んでいるといわざるをえない。
二 フッ素濃度の程度
原判決は、上水道水中の過量のフッ素濃度について、「相当程度超える」と「その程度が著しく高い」とまさに独断で分類した上で、「前記のとおり本件水道水中に厚生省基準を相当程度越えるフッ素が含まれていたとしても、未だ、本件水道の設置又は管理に瑕疵があったとはいえず、また控訴人ないしその担当職員に被控訴人主張の過失があったとみることはできないというべきである。」と結論する。
しかしながら、被上告人が上告人ら住民に対し、長期間にわたって供給した上水道水は厚生省基準に著しく違反して過量のフッ素を含有していたことが明らかなのにかかわらず、何故にそれが「相当程度越えるフッ素」であって「その程度が著しく高い」濃度でないのか、何が「未だ」であるのか、上告人には皆目理解できないところであるし、また、それは誰の目にも同様であろう。
これらの点についても、原判決に理由不備、理由齟齬が存するものである。
第四 判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背
一 水道法、厚生省令違背
原判決は、水道法、これを受けた厚生省令「水質基準に関する省令」に違背しており、この違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
水道法四条は水道により供給される水に備えなければならない要件を定め、フッ素については同条一項三号で許容量をこえて含まないとし、厚生省令は昭和三三年以来一貫して、フッ素の許容量を0.8PPMとしてきた。従って、水道事業者である被上告人にはフッ素濃度0.8PPMを守る義務があることは当然である。
ところが、原判決は「右厚生省基準の示す数値の科学的根拠はさほど明確なものとはいえず、それを少しでも越えたら斑状歯発生の危険があるとのことまでを示すものとは考えられないこと(もっとも、水道事業管理者としては、右基準を遵守するように努めなければならないことはいうまでもないが、右基準に違反した場合に直ちに不法行為上の過失があるとか、水道施設の設置又は管理に瑕疵があるとまで判断することは相当ではない。)」(理由四)と言い切ってしまっている。
しかし、原判決の右記述部分も極めて問題であるし、悪意的である。
「厚生省基準の示す数値の科学的根拠はさほど明確なものとはいえず」とは一体如何なる証拠に基づくのであろうか。原判決の全く勝手な思い込みである。厚生省が専門家に諮問し、その結果を尊重して決定し省令となったのが0.8PPMである(<書証番号略>)。0.8PPMの基準は、昭和三三年に決定されて以降今日まで、同厚生省令は何回となく見直し検討されてきているが、フッ素濃度0.8PPMの基準は一度も改正されたことはなかったのである。三〇年間にもわたって改正されていない事実こそが、科学的根拠を有しているのである。上告人代理人らは昭和六三年に厚生省の右基準の担当課に赴き、フッ素濃度0.8PPM基準が制定以来今日まで正しいとの答を担当者から得ているものである。
また、厚生省医務局歯科衛生課の手になる「う蝕予防と弗素」(<書証番号略>)には、およそ一PPMの弗素濃度を境として軽度の斑状歯が現れてきているとの記載があり(一四頁)、西宮市を含む近畿地方では1.56PPMでもって重症斑状歯(M3)が頻発するのである(一四頁表5)。それだからこそ、斑状歯を発生させないためのフッ素濃度として0.8PPMが設定されたのは当然のことである。
さらに、「……0.8PPM以上の弗素を含んでいてはならないこととされているが、飲料水の衛生保持としてたてまえに立てばこれは当然の措置だといえる。」(<書証番号略>)なのである。
原判決は、また、「もっとも、水道事業者としては、右基準を遵守するように努めなければならないことはいうまでもないが……」と記述するが、水道法四条を一読すれば直ちに理解できるように、同条は努力目標を定めたのではなく、義務内容を定めているのである。従って、原判決はこの点においても水道法を誤り解釈している。
また、さらに既述のように、当時上告人らに上水道水を供給していた生瀬浄水場には、原水に含まれていた過フッ素を、厚生省基準のフッ素濃度0.8PPM以下に処理しうるフッ素除去あるいは減縮装置が設置されていなかった。これは、当然フッ素濃度0.8PPM以下にすべき装置の設置を要求する水道法五条一項四号に違反している。上告人は、被上告人の同号違反によって斑状歯に罹患したところ、原判決は同条の解釈をも誤っている。この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。
原判決は、これら水道法および省令の誤った独自の解釈と、他の事項と総合勘案して被上告人に不法行為責任はないとするものであるが、この場合法令の解釈は最も重要な要素の一つであるから、この違背は判決に影響を及ぼすこと明らかである。
二 フッ素濃度の誤り
原判決は、上告人の歯牙形成期間である昭和四〇年から同四八年の本件水道の上水道水のフッ素濃度について、これを示す適確な信頼性の高い証拠は必ずしもあるとはいえないから当時のフッ素濃度を数値的に確定することは難しいとして、右上水道水中には常時ではなく、時期や日時によるフッ素濃度の変動はあるものの、その程度が著しく高くない、厚生省基準を相当越えるフッ素が含まれていたにすぎないと記述する。
原判決はここでも独善的である。
西宮市斑状歯専門調査会の調査した結果推定した昭和三四年から同四六年のフッ素濃度の推定はその手法において客観的科学的であって十分に信頼できるもので、原判決が推認ないし推測によるものとして信頼しないかのように記述するのは明白な誤りである。
「西宮市の北部地域の斑状歯問題について答申」(<書証番号略>)において、上告人の居住する生瀬地区については、西宮市歯科医師会が現に測定していた昭和四一年から四四年の資料が給水栓で1.9PPMから3.0PPMであった事実、大阪大学工学部大学院グループが昭和四六年に1.6PPMから2.0PPMと測定した事実、および同調査会が昭和五〇年に生瀬地区の小、中学生を検診した結果算出された地域フッ素症指数(CFI)から推算される昭和三六年から同四七年の給水栓2.7PPMの各事実、そして、これに被上告人水道局の資料である原水のフッ素濃度を参考にして、同調査会は昭和三四年から同四六年までの給水栓フッ素濃度を1.6PPMから2.1PPMとしたのである(一五頁表7、二三頁)。同調査会の推測値は、原判決から批難されるべきところは何もない。ただ、上告人からすれば、昭和四一年から四四年は1.9PPMから3.0PPMという現実に調査した数字があるのに、同調査会が1.6PPMから2.1PPMとしたのは低目に推定したのには不満があるが、その理由は同調査会は信頼の置けない被上告人水道局の原水の資料(現実の数値より低目に記録されていたと考えられる)を参考にしたからである。
なお、右に見たように、上告人の当時飲用した上水道水のうち、昭和四一年から同四四年までの四年間と同四六年については現実に測定したフッ素測定値が存するのであり、それは1.6PPMから3.0PPMである。
次に、原判決は、このようにして得られたフッ素濃度を高くないかのように表現する。この点も原判決は全く誤っている。
まず、斑状歯の発生のためには全世界共通の飲料水のフッ素濃度があるわけではない。特に地域によって異なる。それは温度、国民性等によって水の摂取量が異なることを意味する。
例えば、北海道では高くないフッ素濃度であっても、同じ値のフッ素濃度は近畿地方では極めて危険なものとなる。それは「う蝕予防と弗素」(<書証番号略>)一四頁表5を見れば理解できる。M3の重症斑状歯が頻発するフッ素濃度は、北海道などでは5.82PPMから5.74PPMであるのに対し、近畿地方では1.56PPMであり、九州地方では1.09PPMから1.16PPMである。このことは、当然ながら全国の水道事業者が十二分に知悉している。知らないのは原判決だけである。無知だからこそ、原判決は右に導き出されたフッ素濃度を余り高いものではないと断定する。
しかしながら、右調査会が結論した1.6PPMという当時の最低のフッ素濃度数値は、今見たように上告人の居る近畿地方では重症斑状歯を頻発させる1.56PPMを越える超危険なものである。それだからこそ、上告人の上前歯二本はM3の重症歯であるし、生瀬地方小、中学生の六〇%以上が斑状歯という重大な事態となったのである。
また、原判決は、本件水道水のフッ素濃度が高かったのは時期や日時が限定されるかのように記述するが、それも誤りであることはこれまでの主張で理解できるところである。
つまり右調査会の答申(<書証番号略>)からは常時フッ素濃度が異常に高かったことを知ることができる。それ故、右答申は、「……今後も、上水中のフッ素濃度は毎日監視される必要性のあることが痛感される」(<書証番号略>、傍点上告人代理人)と記述したのである。
従って、原判決が、「……いずれにせよ0.8PPMというフッ素濃度それ自体それほど有害危険なものではないのであるからその基準値を越えていたというだけでは、そのことが直ちに斑状歯の発生に結びつくわけではない」(理由二、2)とか「……右基準に違反した場合に直ちに不法行為上の過失があるとか、水道施設の設置又は管理に瑕疵があるとまで即断することは相当でない」と判示したのは誤りである。
被上告人は、上告人の歯牙形成期の全期間にわたって、近畿地方で重症斑状歯を頻発する濃度を越えた1.6PPM以上のフッ素を含有する上水道水を上告人ら住民に供給したのであり、その結果当時上告人を含む六〇%以上の小、中学生徒に斑状歯を罹患させるという重大な事態を招いたのである。
原判決の右の各点の誤りは、経験法則違反、論理法則違反および採証法則違反によるものであり、これらの法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
三 原判決は、上告人が居住する西宮市北部地域では昭和四〇年代後半から人口が増加して水不足状態が発生して、被上告人の給水能力の限界を越えるような状況にあり、かつ、同地区ではフッ素を含まない水源を確保することは地形的な事情等から容易ではなかったとも判示する(理由三、1、四)。しかしながら、上告人としては、原判決が何故に右事情を被上告人の不法行為責任の総合勘案するための一事実としてとり上げるのに疑問を有する。
その理由は次のとおりである。厚生省令でフッ素濃度の許容量が0.8PPMと規定されているにもかかわらず、被上告人は昭和三二年の本件水道事業開始時から全くこれを遵守してこなかったからである。言葉を換えて言えば、遵守しようとしなかったのである。
そして、フッ素濃度を遵守していないという事実を斑状歯被害者となる住民に対しその広報もしていない。当然ながら、北部地域でフッ素濃度の少ない水源を確保するのは容易ではないとの広報活動も全くしていない。その広報活動がおこなわれていれば上告人家族は現在地に移転してはこなかった。
つまり、原判決が右で言っていることは、原審になって被上告人がとってつけたもので、被上告人が過量のフッ素混入の上水道水を供給した理由、根拠では全くない。
また、昭和四八年に生瀬浄水場へ給水を開始したドン尻ダム、ドン尻浄水場は当然ながら昔から存するドン尻川に設置したダムであって、そのフッ素濃度は0.8PPMを遥かに下まわる原水であった。ドン尻ダム、ドン尻浄水場は生瀬浄水場からは僅か1.4キロメートルしか離れていない(被上告人の原審における昭和六二年四月二八日付準備書面添付の西宮全図参照、本書面末尾に写添付)。
ドン尻ダム、ドン尻浄水場は、ドン尻川の表流水を源水とするが、被上告人は当時フッ素についての僅かの熱意があれば、ドン尻川の表流水がフッ素濃度が低いことを容易に発見し、ダム、浄水場を昭和四〇年以前に完成できていたことは明白である。
原判決は、生瀬地区周辺にはフッ素濃度が低い水源を見つけることができなかったと判示するが(理由三、五(二)、(1))、それは誤りであり、右に述べたように生瀬浄水場から僅か一キロメートル程度のところにフッ素濃度の低い表流水を有するドン尻川が存したのである。要するに、被上告人の水道行政はフッ素対策には全く熱意を示しておらず、ドン尻ダムにしてもフッ素の観点からではなく丸山ダムの完成までの単に水量確保のために準備されたにすぎない。それだからこそ、ドン尻浄水場を丸山ダム、丸山浄水場からの上水道水の供給開始とともに廃止されてしまったのである。
次に、現在、生瀬地区は丸山ダム、丸山浄水場から上水道水の供給を受けている。しかし、被上告人から丸山ダムに関する乙号証にはフッ素の言葉は一つも見当たらない。丸山ダムの源水のフッ素濃度は厚生省基準を下まわっているが、その源水を有する船坂川がフッ素濃度が低いことを発見することも時間的にも技術的にも極めて容易であった。
被上告人は昭和三四年に西宮市史第一巻(<書証番号略>)を発行しているが、そこにはフッ素と斑状歯とフッ素含有の多い、または少ない水源と、これらの事項についての詳細な記載がなされている。
被上告人の斑状歯についての右方向が水道局内でもフッ素含有の少ない水源を確保するという方向に向けられれば、先のドン尻川はもちろんのこと、丸山ダムの水源の船坂川を容易に発見し、そこにダムおよび浄水場を設置することができたものである。
従って、原判決の右判示は、被上告人が水道法に反してフッ素対策をしていなかったことを胡塗するために苦しまぎれに出した主張を誤って認めたものであり、それは経験法則違反、採証法則違反によるものであり、この法令違反は判決に影響を及ぼすことは明らかである。
四 原判決は、当時、日本においては未だ効果的な除フッ素法は確立されておらず、活性アルミナによるフッ素除去法も実用化されていなかったと判示する(理由三・4、四)。
この点も、原判決が被上告人の言い逃れを不当にそのまま認めたのである。すでに何度も繰り返したように、被上告人は西宮市史(<書証番号略>、昭和三四年発行)に自ら認めるように西宮市では古くからフッ素と斑状歯の問題が取りざたされていたにもかかわらず、昭和三三年に水道法に基づく上水道水のフッ素濃度の許容量が0.8PPMと規定された以降もこれを生瀬地区で遵守してこなかった。
被上告人はこのように水道法を何ら守らずにきたにもかかわらず、フッ素除去法を論難しているにすぎない。
上告人、上告人代理人、上告人の母大坪久子は昭和六三年二月厚生省歯科衛生課と水道整理課の担当者に説明を求めた結果が次のとおりである(原審における大坪久子証言)。
「昭和三三年にフッ素濃度を0.8PPM以下の定めたのは、当時から実行可能と判断したからである。
省令で0.8PPMと決定するにあたっては専門の学者らに諮問したし、全国の水道事業者が加入する社団法人水道協会の意見も聞いている。
0.8PPMの根拠も、治験結果等を総合的に判断したものである。
0.8PPMは水道事業者が守らなければならない基準である。
0.8PPM改正の動きは一度もない。
これまで、0.8PPMの基準が守られないと言ってきた水道事業者はいない。
西宮市や宝塚市から0.8PPMの維持は不可能だとの報告を受けたことはない。
『う蝕予防と弗素』(被控訴人注・<書証番号略>)は一九六六年に厚生省医務局歯科衛生課で出版したものであり、そこに記載されているフッ素除去方法の活性アルミナ法は当時も現在も有効である。」
つまり、フッ素濃度を0.8PPMを遵守することは当時から可能だったのである。また、これまで厚生省は水道事業者からフッ素濃度0.8PPMを維持できないとの報告は一つも存していないのである。仮に、被上告人は0.8PPM以下にフッ素濃度を維持できなかったならば、水道法二条の二、二項からしても厚生省に援助を求めるべきであった。これを被上告人がしたことがなかったのは原審の最後の口頭弁論期日平成元年三月九日の調書に記載されている。
このことは、被上告人がフッ素対策に関心がなかったのであり、斑状歯が発生してもよいと判断していたからである。
被上告人がやむをえず、フッ素対策を論じ始めたのは、昭和四六年兵庫県宝塚市内の一歯科医が宝塚市の供給する上水道水によって多くの斑状歯患者が発生しているとマスコミに告発してから、慌ててのことであった。被上告人の水道法を無視し続けてきた対応は、住民に健康被害を発生せしめた点で、まさに犯罪である。刑法上の傷害罪である。上告人としては時効の壁でこれを追及できないだけである。
ところでフッ素濃度が0.8PPM以内の上水道水を得るための第一は、原水そのものがフッ素濃度0.8PPM以下の水源を確保し配水することである(<書証番号略>、昭和二四年九月一四日水道協会雑誌一七一頁、なお被上告人水道局も同水道協会の一員である)。
これについては、被上告人がドン尻川、船坂川というフッ素濃度0.8PPM以下の水源を確保できえたことはすでに述べた。
次に、フッ素除去方法についても述べておく。
昭和二四年三月の兵庫県弗素被害対策委員会議録に付されている平田美穂の論文では、芳香族アミンを母体とする陰イオン交換性合成樹脂を用い、水中の弗素を単純濾過法のみにより簡易容易に一〇〇%除去したとの報告がある(<書証番号略>)。
昭和二四年九月一日発行の水道協会雑誌(<書証番号略>)の土谷栄二の「上水の脱弗素施設について」においては、アニオン交換性樹脂等を使用したフッ素除去方法について報告している。ただ、同報告のなかで同除去方法を採用すると「即ち、現行水道料金を倍額値上げする程度で実施が可能である。ここには人権費・動力費・施設償却費は一切含められていないからそれらを顧慮すれば処理水一立方メートル当り、約九円の負担増となるので水道料金を現行の四倍程度にする必要がある。」との記述がある(一六頁)。
しかし、右の費用の記述は、上水道水にフッ素除去だけをするという前提の計算であって、遅くとも昭和三三年からおこなわれている上水道水の改善の実態とはかけ離れているがための計算方法である。
すなわち「……除弗法を実用化することは、経費、技術等の面から考えてそれほど困難な問題は伴わないであろう。すなわち、浄水場に除弗装置を設けて処理を行うということは、現在多くの浄水場が実施している硬水軟化、イオン交換、漂泊、清澄あるいはこれらの組合せた処理法に必要とされる経費や操作技術とまったく同じであると考えられるからである。」(<書証番号略>)
なお、水道法の規定からいえば、他にフッ素濃度の低い水源の確保ができないのであれば、費用が高額であろうともフッ素除去装置を設置すべきは当然である。
昭和三三年七月一日発行水道協会雑誌(<書証番号略>)の報告には「一九五二年(上告人注・昭和二七年)にテキサス州のBartlett活性アルミナを用いてつくった施設は、再生に苛性曹達と硫酸を使用するもので、現在のところ最もよい方法と考えられている。」と活性アルミナ法を紹介している(五六、五七頁)。昭和三七年一月一日発行の水道協会雑誌(<書証番号略>)にも活性アルミナ法は実用に供しうると記述されている(七六頁)。昭和三九年二月一日発行の水道協会雑誌(<書証番号略>)によると、昭和三六年一一月に日本水道協会関西地方支部での発表として大阪市で活性アルミナ方法が昭和三五年一〇月に建設の第一歩を印した、装置は従来の各種方式にくらべて安価確実であり、操作も硬水軟化装置と全く同一故極めて保守も簡便であるとされている。
右のように、遅くとも、昭和四〇年には上水道水中のフッ素濃度を厚生省令0.8PPM以下にまで除去する技術は確立されていたのである。
厚生省が昭和四一年に発行した「う蝕予防と弗素」(<書証番号略>)にも「除弗法のあらましを、アメリカにみられている実例を中心として述べたが、必要な地域において、除弗法を実用化することは、経費、技術等の面から考えそれほど困難な問題は伴わないことであろう。すなわち、浄水場に除弗装置を設けて処理を行うということは、現在多くの浄水場が実施している硬水軟化、イオン交換、漂泊、清澄あるいはこれらの組み合わせた処理法に必要とされる経費や操作技術と、まったく同じであると考えられるからである。」(五九頁)と記載されている。
要するに被上告人はマスコミによって斑状歯とフッ素の問題を指摘されるまで活性アルミナ法を試みようともしなかったのであり、そうでありながらフッ素除去法を云々するのは盗々猛々しいといわざるをえない。
従って、原判決の右判示も誤りであり、その誤りは経験法則違反、論理法則違反および採証法則違反によるものであり、これら法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
五 比較衡量論批判
原判決は、斑状歯は特に重症の場合はともかく機能的には特段の支障はなく審美性傷害にすぎず生命を脅かすというものではないところ、厚生省基準を越えるフッ素を含む水の供給を停止することによって斑状歯が発生するおそれをなくす利益と、右フッ素を含む水の供給を継続することによって住民の生命等を保持することができる利益とを比較衡量すれば後者を優先すべきと判示する。
原判決は、ここで何を言っているのかを理解しているのであろうか。
まず、何故に過量フッ素含有上水道水の停止もしくは通水となるのであろうか。水源には、過量フッ素のものと、厚生省基準0.8PPM以下のものとが存したのである。そして、0.8PPM以下の水源、ドン尻川および船坂川の水を確保できえていたのである。行政の怠惰あるいは無能故に右確保をしなかったにすぎない。
また、本裁判は、上水道水の停止を求めるものではない。上告人は、過去の被上告人の著しい水道法違反によって蒙むった斑状歯被害の賠償を求めているにすぎない。このような場合に、何故に停水もしくは通水の議論が登場しなければならないかに上告人として不可解である。
さらに、生命を脅かさなければよいとの原判決の発想も到底理解できない。過量のフッ素は、前述したように五グラムで人を急性死させ、慢性中毒として重篤な骨軟化症を発生させ、かつ斑状歯を発生させるのである。そして、本件斑状歯の原因は、上告人ら住民が安全であると信じて毎日飲用した被上告人が供給した上水道水なのである。上告人には全く何らの過失がないのである。
斑状歯は主として審美性の問題であるが、審美性は人にとって重大な問題である。美を生命より重要に考える人すら存するのである。そして、斑状歯患者にはその歯のために人前に出ることを嫌い、また人と話することが嫌になり、性格が暗くなっていくということも数多く存するのであり(一審における上告人の証言、一審・原審における上告人の母大坪久子の証言、<書証番号略>)、原判決が生命との比較で審美性の被害を切り捨てることは、斑状歯被害者を冒とくするもので到底これを許すことはできない。
原判決の右判示も明白に誤りであり、この誤りは経験法則、論理法則および採証法則のいずれにも違反し、この法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
六 原判決は、被上告人は不十分ながらも昭和四〇年以前から本件水道の水質検査をし、フッ素の除去低減に努力し、最初のうちはその成果は芳しくなかったものの現在では安定した水質の給水に成功していると判示する(理由四)。
被上告人の水質検査は「不十分ながら」でなく、不十分そのものであった。仮に被上告人の主張する月一回のフッ素検査の実施を認めるにしても、それだけでは何の意義もない。昭和三四年発行の西宮市史(<書証番号略>)に次の記載がある。
「フッ素が人体に悪影響を及ぼす限界値はいまだ確定されていないようである。水道協会では1.5PPMとしているが(注・上告代理人・昭和三三年に厚生省令で0.8PPMと法定される以前のこと)、0.3PPMというような低い値をあげている人もいる。このような状態であるからたえず上水道源水のフッ素含有量を監視する一方、フッ素の起源をつきとめて対策を考えておくことも重要である。」(六六頁、傍点は上告人代理人)
つまり、兵庫県や西宮市においては古くから、遅くとも昭和二〇年代から、飲料水と斑状歯の問題について重大かつ深刻に受けとめられており、すでに昭和三四年には「たえず上水道源水のフッ素量を監視」する必要性が叫ばれていた。また、厚生省衛生検査指針の浄水試験方法(<書証番号略>)における定期水質検査(四〇二頁)は、その名のとおり「指針」であって、被上告人の有するフッ素に関しての特殊性からして西宮市の上水道水中のフッ素については指針とおりに該当しないが、右「指針」にしても、そこで記載されている毎月検査は「給水せん水について、毎月一回以上……の検査を行う。なお、地理的・地質的・環境的状況に応じて必要と認める項目について検査を行う。」(傍点上告人代理人)と記載されているのであって、被上告人の状況ではまさに右「なお」書に該当し、毎日検査をすべき場合であって月一回の検査では到底検査をした意義はない。
すなわち、西宮市史の記載からしても被上告人は生瀬浄水場およびその給水栓で毎日検査をし、その結果を見ながらフッ素対策を論じるべきであった。その検査のためには、被上告人が主張する当時の試験法は何らその弊害とならない。
次に原判決は不十分ながらもフッ素の除去低減に努力したとも言うが、これまた誤りである。
それは、生瀬地区のCFI(地域フッ素症指数)1.73から推算される同地区の昭和三四から同四七年の給水栓フッ素濃度が2.7PPMであること、西宮歯科医師会が昭和四一年から同四四年に測定した同地区の給水栓フッ素濃度が1.9PPMから3.0PPMであったことおよび西宮市斑状歯専門調査会の同地区のフッ素濃度推測値は1.6PPMから2.1PPMであった事実は、給水栓フッ素濃度と原水フッ素濃度が同一であったことを物語るのであり、それはとりもなおさず上告人の歯牙形成期のほとんど全期間にわたって、被上告人はフッ素除去法を実施していなかったことを示すからである。
被上告人が活性アルミナ法に取り組むのは、宝塚市がフッ素と斑状歯問題について一歯科医からマスコミに告発された昭和四六年以降である。また、被上告人がフッ素除去法と主張する硫酸バンドは水中の大きなゴミをとるのに有効で、またそのために使用されるものであってフッ素除去には有効ではない。それだから、右に述べた給水栓のフッ素濃度となっているのである。
ところで、岡山県倉敷市でもフッ素問題に悩んでいた。しかし、倉敷市水道局のフッ素に対する姿勢は被上告人とは全く異なっていた。倉敷市は、昭和四二年に活性アルミナ法を実施するプラントを同市片島に存する片島浄水場に設置し、一年間これを稼働し、フッ素を除去した。そしてその後、片島浄水場の西を流れる高梁川の表流水を多くの水利権者との協議が成立したために取り入れることができたので同プラントの運転を停止したのである。
これに反し、被上告人は水道協会雑誌においても、また厚生省の文献(<書証番号略>)でもって提案されていた活性アルミナ法を実行することをフッ素と斑状歯問題をマスコミで大きくとりあげられるまで全く無視してきたし、生瀬地区の近くを流れる武庫川の表流水についても川の水利権者の同意を得られないと放置する水道行政であった。被上告人のフッ素水道行政の違法性、有責性は余りにも明白である。
原判決の右判示も誤りであり、それは経験法則、論理法則および採証法則のいずれにも違反しており、この法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
まとめ
どうして、原判決は被上告人のおこなった余りにも長期間のかつ重大な、違法かつデタラメのフッ素水道行政に、無論理かつ無節操に味方するのであろうか。
生瀬地区への上水道水は厚生省基準0.8PPMを大幅に上回り、しかもそれは常時であり、かつ長期間であった。それ故昭和五二年当時の調査で小、中学生六〇%以上が斑状歯に罹患していたのである。
原判決はこの重大かつ深刻な事実に対して、ことさら目をそむけ、無理やり一審判決を覆してしまうのである。
判決は、当事者をも、そして市民を国民を納得させるものでなければならない。一審判決と原判決を読み比べたら、どちらが論理性、説得性を有するかは誰の目にも明らかであろう。
原判決の理由四で総合勘案(「総合勘案」事態が上告人代理人には理解できない。)の対象となった事実すべてが、経験法則違反、論理法則違反および採証法則違反、水道法違反のいずれかを有し、これらの法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
また、原判決には明らかに理由不備、理由齟齬が存する。
よって、原判決を破棄し、上告人の本訴請求を認容すべきと思料する。
(添付図面省略)